『コンビニ人間』。私がまだ大学生のころに出版された本だったと記憶しています。
SNSやネットニュースを見ていると、「普通」の基準が上がっているような気がする現代。「普通」って、結局なんなのか分からないよね・・・と最近思うことがあるので、このタイミングで読んでみることにしました。
読後感は、決して気持ちの良いものではありません。物語の全体が、結構な狂気に満ちていると思いました。しかし、それでも一気読みできてしまう不思議な本です。面白い本とは、こういう本なのかもしれません。
全体的に、人間の嫌なところ、醜いところの表現が妙にリアルに感じられました。
コンビニで18年働き続ける主人公の恵子。働き始めた当初はとても喜んでいたのに、今はそれを「おかしい」と言う周りの人間。誰かに迷惑をかけているわけではないのに、「どうして結婚しないの?」「どうしてバイトのままなの?」とやたら知りたがっている様子・・・こういう人、たまにいますよね。
物語の後半に差し掛かり、恵子以外のコンビニ店員たちの言動があからさまに変わっていく様子も、あまりにもリアルで読んでいて苦しくなりました。結局、恵子のことをどこか「普通」ではないと思っていたんだなあ、と。
恵子がいないときにどんなことを話しているのか、特に描写はないですが、どうせ「あいつは普通ではない」とネタにして笑っているんだろうな・・・というのが容易に想像できるのがなかなかキツいと思いました。
応援してくれていた妹が「いつになったら治るの?どうすれば普通になるの?いつまで我慢すればいいの?」と泣き出したシーンは、切ないような、苦しいような、複雑な心境になりました。「普通」ではない家族がいると、「普通」である家族が何かしら言われるのでしょう。恵子の妹や両親の立場でしか分からない苦しさが読み取れました。
個人的に、思わずゾッとしてしまったシーンがありました。恵子が、結婚して子どももいる妹のところに遊びに行って話していた時に、子どもが泣き始めてしまったシーン。
赤ん坊が泣き始めている。妹が慌ててあやして静かにさせようとしている。テーブルの上の、ケーキを半分にするときに使った小さなナイフを見ながら、静かにさせるだけでいいならとても簡単なのに、大変だなあと思った。
いやまさか、妹のいる前で実行しないよね?2、3ページめくった先、とんでもないカオスな展開にならないよね?とドキドキしてしまいました。恵子が行動に移さなくて良かったです・・・。
そして、現代は特にこういうことが多いんだろうな、と印象に残った一節がこちら。
皆、変なものには土足で踏み入って、その原因を解明する権利があると思っている。
SNSの普及によって、有名人に限らず、一般人も日々の生活などを発信しやすくなったが故の現象のような気もします。誰もが情報発信しやすくなったからと言って、他人が土足で踏み入って、どうのこうの言っていい理由にはならないはずなんですけどね・・・。
もはや、権利というよりそういう「義務」があるとすら勘違いしているような、そんな人が一定数いそうなのが一番怖いな、と思います。
一方で、「普通」ではないと思われている恵子ですが、ある側面ではなぜかうらやましさや強さのようなものも感じます。
自分が打ち込める仕事を見つけ、長きにわたり真面目に働いて、周囲に怒鳴ることもなく、今までの経験をもとに、周囲から浮かないような振る舞いができるよう努力している・・・。これらをひたむきに出来ている恵子に、強さを見出しました。
また、今まで周囲から言われてきたことに対して、多少なりとも立ち止まって悩むことがあったとしても、自分の軸が大きくブレることのないその決断力・・・率直にうらやましいと思いました。
もし、この本の続編が出たら、怖いもの見たさで読んでしまいそうな自分がいます。
これを読んでもなお、「普通」に囚われているような感じもしますし、なんだかんだで主人公の恵子のことをどこか「普通」ではないと思ってしまう私は、おそらく「こちら側」の人間・・・。良くも悪くも、世間一般の「普通」はこうであろう、と思いながらこれからも生きていくのだと思います。
読んだ方は、どちら側の人間だと思うのでしょうか。